新学会「日本生物環境工学会」の発足にあたって

二学会連携協議会会長・新学会名誉会長  橋本 康(東京農業大学客員教授)

1:プロローグ

(1)合併二学会の兄貴分である日本生物環境調節学会(以下、生環学会と略記)は1964年に故杉二郎先生(東大名誉教授、JSPS初代常務理事)を中心に全国の主な大学研究機関を網羅したファイトトロン実験室関係の委員会を母体に創設、42年が経過した。学会創設時、著者橋本は大学院修士の院生として杉研究室に在籍していた。2002年9月、90歳の誕生日の直前に他界された杉先生は、それ以前の約10年間、合併の相手方である日本植物工場学会(以下、植工学会と略記)の理事会へも再々お見えになり、基礎農学の生物環境調節学と工学応用の植物工場学が協力・連携できれば、名実共に農・工融合の環境調節による食料生産科学(工学)への道が開けると激励して頂いた。

(2)時は経ち、日本学術会議は第20期の新学術会議を迎えるに当たり、第19期の各種委員会では協力学術研究団体に関する論議が活発に行われた。当時、小生が委員であった第19期の組織制度常置委員会では、学術会議とコントラクトするに相応しい学会の在るべき姿に関して論議が行われた。結局、それらの結果は、実現へのプロセスには向かわず、ある意味で徒労に終わったと云えそうである。しかし、そこで展開された論議は、学会の在り方に関して幾つかの重要なヒントを残している。新しい「協力学術研究団体」の望ましい姿の一つとして、国内だけでなく国際的にも活躍が出来る学会として、機関誌が和文誌のみでなく英文誌も刊行できる学会が望ましい等々である。しかし、会員数が1000名未満の小さな学会では、和文誌と英文誌の両者を刊行するには財政的に不可能であり、その点に、連携の目的の一つが浮上した。

(3)日本学術会議対外報告「気象変動条件下および人工環境条件下における食料生産の向上と安全性(2006年6月23日)、農業環境工学研究連絡委員会」1)は、日本農業気象学会、生環学会、植工学会が協力して第19期の農業環境工学研究連絡会が取りまとめたものである。気象変動条件下の諸問題は、日本農業気象学会が担当し、人工環境条件下の諸問題は、生環学会と植工学会の2学会が連携して担当した。この審議過程で、両学会が合併すれば、食料生産分野における環境制御システムの農・工融合が飛躍的に推進でき、大きな社会貢献が期待できるとの結論を得た。

(4)その他、幾つかの要因が指摘できるが、以上(2)(3)の2点だけでも、連携し、合併するメリットが極めて明確であり、両学会が特徴を生かし、相互補完し合うことで、理想的で強力な学会が生まれる、との結論に到った。両学会の首脳から成る連携協議会を正式に発足させ、約2年の準備期間の後、平成18年12月14日に両学会は臨時総会を開催し、それぞれの学会を解散し、直後に新学会の総会を開催し、合併に関する承認が行われ、新学会「日本生物環境工学会」は、平成19年1月1日から発足する運びに至った。

2:生環学会とその歴史

"学際”の重要性を唱えた杉先生が生物環境調節施設「ファイトトロン」の全国ネットワークに基づく拠点形成の重要性を指摘され、九州大学生物環境調節センターの拡充に力を注がれ、同研究所の松井健先生らが学会発展に大きく貢献した。水産、昆虫等生物学領域全般にわたる対象は、1970年代の延べ10年間にわたる文部省特定(重点領域)研究の結果、園芸・作物生産領域における環境調節・制御の研究・開発・普及に絞られた。施設園芸を始め農学からみた計測・制御に関わる研究者・技術者の育成・向上に寄与し、基礎学に大きく貢献してきた。長所としては、大学教官を中心に地味な中長期の基礎的な研究課題が多く、若手研究者の育成に適したが、短所は社会の動きに鈍感で学術の殻に閉じ籠り易い点が指摘されている。

3:植工学会の創設

上記生環学会創設の25年後に工学的な発想と技術に基づき、人工環境下における効率的生産の嚆矢となった「植物工場」を具体的な対象に、企業の食料生産への関与を誘導し食料危機を緩和させる役割を目指して、高辻正基、橋本 康等により創設された。当時日立中研で「植物工場」を開発した高辻氏と彼の東大の出身学科に拠点を置く(社)計測自動制御学会の当該研究会の有志も合流した。やがて、東海大学開発工学部に拠点を置き、社会へ開かれた新しい学会像を目途に社会貢献を果たしてきた。長所は、計測・制御の工学技術に基づき企業人の参加が多く、短期的課題で効果的な成果を収め、マスコミへの話題提供に優れ、社会の注目度を高めたが、短所は、関係する企業の興亡に左右され、やや一貫性に欠ける。英文論文の質および量が採用・昇進を決める若手研究者のキャリア育成には適しているとは云えない。 

4:両学会の特色を生かすには

合併の目的が両学会の長所を伸ばし、短所を埋めることであり、以下が主な課題である。

(1)自律分散(個性の保存)的な研究事業部会の採用     
(2)英文誌(国際性、キャリアの育成)、和文誌(技術形成、社会貢献)の2本建て         
(3)画一化しない地方支部(都会型、地方型を支部が選択できる)
(4)次世代後継者の育成(地方、若手、男女共同参画)

研究事業部会として、以下の3部会に拠点形成を目指すこととした。

 植物工場部会:工学利用の先端的な食料生産システムに関わる部会で、工学、農業工学、そして栽培学に関わる研究者・技術者に開かれた部会である。植工学会の伝統を継承。

 生物環境調節部会:種苗、栽培、保蔵等に於ける生物と環境との関わりの基礎的研究を対象とする部会で、園芸学、作物学、農業工学等々の生物科学と工学に携わる研究者・技術者に開かれた部会である。生環学会の伝統を継承。

 生物生体計測部会:栽培プロセスにおける生理生態学的諸量の定性的・定量的計測の基礎から先端的な細胞計測まで、作物学、園芸学、基礎植物学、生物化学等々の研究や計測工学に関わる技術開発に携わる者に開かれた部会である。九大生物環境調節研究センターおよびバイオトロニクスの伝統を継承。

その他の部会として:

執行部会:学会運営の中心として、諸々の執行に責任を持つ。

編集部会:和文誌、英文(論文)誌に関し、論文審査・編集を担当する。

国際学術部会:国際学会との関わりを中心に学術の国際化に努める。

教育部会:教育関係のほか、技術倫理、男女共同参画等々の窓口となる。

支部会:地域における会員相互の協力・親睦を中心に学会の振興に努める。

5:再度、日本学術会議へのコントラクトを思考する

日本学術会議の改革は、形而上は無論、多くが成され、ここで簡単に説明出来ない程である。主なポイントとしては、第17期に吉川会長が就任され、設計理論に基づく科学哲学的な方向性が明確に打ち出された。学術における「俯瞰的視点の重要性」であり、それに基づく社会への科学的・技術的貢献の指摘である。つづいて、第18期における哲学者・吉田副会長を中心とする「新しい学術の体系」の問題提起、さらに、第19期の黒川会長を中心に対応した総合科学技術会議提案の「7部制」から「3部制」への依拠すべき学術の区分け、さらには第20期で大きく変わった新学術会議会員の選考基準で話題となった「地方、若手、男女共同参画」等々である。

本学会の新たなスタートに当たり、上記スタンスと如何に整合させるべきかは重要なポイントであった。「俯瞰的視点」は、杉先生が日本学術振興会常務理事当時強調された「学際的課題への取り組み」とほぼ同一である。他方、杉先生が文部省学術審議会委員として立ち上げた「連合大学院」は、まさに農学における地方重視そのものへのアプローチであり、黒川構想の「地方」、「若手」等々に矛盾するものではなく、むしろ生環学会では先取りしてきた実績である。他方、設計の理論を敷衍した科学・技術の社会への貢献は、まさに植工学会が率先してきた「存在理由(raison d’etre)」そのものである。問題は、それらの実績をさらに拡大する新学会の役員の構成であった。若手、地方に目を配る役員人事である結果、地方大学の50歳前半および40歳中葉に役員分布の二つのピークが見られる。女性役員の日本学術会議連携会員は2名、連携会員の総数は9名、2名の地方選出の学術会議会員にご指導をお願いしている。すなわち、地方の若手が学会の中心を占めている。米国における食料生産の学術は、ハーバード、エール、スタンフォード等ではなく、地方の州立大学の貢献に立脚していることに鑑みても、なんら不自然ではない。我が国では東京中心の流れが随所に見られるので、何れ、伝統と実力のある東大に復元することを否定するものではないが、改革のプロセスにおいては、一度は、思い切ったストラテジーを採ること、否採ってみせることにこそ大きな意義があると思考する。

6:エピローグ

依拠すべき理念、学術と社会貢献への基本的取り組みに関しては、会則、内規等を参照して頂きたい。

「学会の今日の存在は、過去の先人の思考(志向)の産物、明日の学会は、今会員が何を考えるかで決まる」 お互いに協力し、この学会を「工学的な手段、システムに立脚した食料生産科学に大きく貢献する学会」へ発展させましょう。私個人としても、この学会の行く末を慎重に見守って行きたいと考える。

引用文献

1)生物環境調節学会誌43(3):89-95, 2005